「愛してる」
「俺にはお前だけだ」
「身分が何だってんだ、俺にはお前が必要で、お前だって俺を必要としている。それだけで十分じゃねぇか。そう思わねぇか?」
「お前のその小せぇ手で全部持てる訳ねぇ、だから俺が代わりに持ってやる。俺の手はお前のより遥かに大きいからな。そうだろ?」
「全部預けろよ、全部だ。俺が全部持ってやる。何、お前くらい軽いもんだ。独眼竜は伊達じゃねぇんだ、You see?」
「全部、全部終わったら、そうしたらもう、お前のこの小せぇ手が刀なんて握らなくてもいい世になんだよ。俺がそんな世にしてやる。だから、、待っててくれ」
「天下も欲しいがお前も欲しい。俺は欲張りなんだ」
「死ぬなよ……絶対に死ぬな。俺の命令が聞けないお前じゃねぇ、だろ?」


 思い返せば、俺がアイツにやった言葉はどれも陳腐なものに思えた。一つ一つ数え上げてみても、果たして本当にそれがアイツの芯まで届いていたのか自信がない。俺の手から零れ落ちていったように思えるアイツの命は、本当に俺の手の中にあったのか。そんな事さえ疑わしく思えてくるのだ。アイツの手の中には何があったのか。そしてアイツはそれを零さないで持っていられたのか。それをあの世まで持って行ったのだろうか。それならばその中に俺はいたのだろうか。アイツに手放したくないと思われていたのか。
 答えの出ない問いばかりを募らせて、俺は空を仰ぐ。天守に近い自室は、よく空が見える。アイツは空を見て俺を見て、蒼は俺の色だが空の色は俺の蒼ではないとぼやいた事がある。曰く、空の色では些か薄いのだそうだ。確かに俺の陣羽織の色と比べれば、空の色では物足りない。けれど、アイツは陣羽織を纏った俺の背中はあの空よりも広いのだとも言っていた。心は広くないのかと問えば、口を噤んで目を逸らす。俺はその時何を言ったのだったか。頭を掴んでいい度胸だ等といった気がする。

 こうして思い出ばかりが鮮明で、アイツの姿だけがここにないというのは不思議な心地だった。悲しいとは思っていない。寂しい気持ちもするが、そうも言っていられないのが現状だった。ただ、体の内に、何処からか隙間風が吹きこんでくる。冷え切っていた。けれど、ほんのりと熱を持っている部分もある。
 この乱世では、人が死ぬと言う事は珍しい事ではない。性別も年齢も身分も何もかも関係なく、ただただ乱世と言う名に飲み込まれていく。アイツも例外ではなかったという事だ。戦で、死んでいった。女の身でありながら戦場で死ぬとはどういう気持ちなのだろうか。また問いばかりが積もっていく。

「Ah、やる気でねぇな」
 文机に頬杖をついて呟けば、斜め後ろから小十郎の苦言が飛んでくる。面倒だ。しかし、平和でもある。そう、平和なのだ。乱世と言えども四六時中戦ばかりをしている訳ではない。戦と戦の合間に、こうして束の間の平和は訪れる。それは決して恒久のものではないし、きっと仮初のものである。けれど、平和であるというのは事実だった。
 平和は悪いものではないが、退屈だ。ひらすらに執務をこなしていると、頭の中が溶けていくような気がしてくる。元々じっとしていられない性質であるのが災いしてか、頻繁に執務を放り出して逃げ出しては小十郎に叱られている。まるで子供だと溜息を吐く小十郎の隣でアイツは笑っていた。

 思い出ばかりが顔を出す。けれどアイツは未来永劫、俺の前に顔を出す事はない。

 改めてそう実感すると、体が震えた。肩を震わせた俺に、小十郎から声が掛かる。

「政宗様?冷えましたか、羽織を持って参ります」
 それに肯定も否定も返す気にもならず、ただヒラヒラと手を振った。この手は、アイツのものよりも随分と大きかったから、だからアイツより取りこぼすもんは少ないと思っていたのに。
 体を震わせたのは、確かに寒さだったが、それは体が冷えたから感じるものではない。この身の内が、寒い。ガタガタと震え出した体をおさめようと自らの体を抱くようにして縮こまると、一層それは酷くなった。この腕の中に、もう二度とあの温もりが戻ってこない事は知っていたのに。頭では理解していたのに。

「shit!」
 何故乱世に生まれたのだろうか。何故アイツの身分は低かったのだろうか。何故、何故、何故。
 もしここが乱世でなかったら、アイツは戦なんかに行って死ぬ事はなかっただろう。もしアイツが何処ぞの姫であったなら、俺は奥から一歩も出さずに守っただろう。もし、もし、もし。

 どうしようもない疑問と過程が、隙間風吹きすさぶ心内に渦巻いている。アイツは俺がこんな風になる事なんざ望んではいなかっただろう。そう思おうとしても、それが何になると頭の中で誰かが叫ぶ。アイツが死んだのは事実で、そして過去だった。もう何もできない。
 そもそも、こんな風に後悔をするくらいなら、側に置いておけばよかったのだ。俺は側に置くどころか、アイツに背を向けて大将に向かって行った。アイツ一人を激戦区に残して、だ。アイツならば大丈夫だと信じていたのもある。けれど、そんな綺麗な言葉で取り繕ってみても、俺がアイツを置き去りにした事実は変わる事がない。
 俺は大将である俺に群がった敵兵に囲まれたアイツを、援軍すら呼ばずに放って行ったのだ。あの時、アイツは何かを言っていただろうか。些細な事は思い出せるのに、こういう大事な事ばかりが思い出せない。
 その代りだとでも言うように、アイツの死体は鮮明に覚えているのだ。腹はバックリと裂け、足には矢が刺さったまま、地を掴んだのかその手は土に塗れていた。返り血もあっただろうが、それだけでは説明がつかない程にアイツの日に焼けた肌は赤く汚れていた。その様は悲惨としか言いようがなく、それでもアイツを発見した兵によれば、アイツの周りには敵兵の死体ばかりがあったそうだ。アイツはどれくらい戦ったのだろうか。どれ程殺したのだろうか。どれだけの敵兵を斬って、そしてどれだけの敵にやられたのだろう。どれ程の傷を負うまで戦い、どれだけの傷をつけられるまで戦っていたのだろう。その疑問は想像を呼び、想像は結局自らの行いへの後悔と悔恨を呼んだ。

 それでも、それでもただ一つ、救いだったのは、アイツの顔が安らかだった事だ。清める余裕はなく、薄汚れたままの顔だったが、それでも、それでも静かに眠っているような顔は、俺の心を随分と軽くしてくれた。最後まで俺はアイツに救われている。
 そして一番の後悔は、最後に流しただろう涙を、この指で拭ってやれなかったことである。

 そして思う。仮にアイツが生きていたとして、それでこの乱れた世で、アイツを幸せにしてやれたのだろうか、と言い訳じみた事を。




浮世