声が、聞こえた気がして。でもそんなものは聞こえる筈もなくて、思わず目を閉じたまま顔を顰める。聞こえる筈はない、いる筈がない。分かっているのにすぐ側の気配は消えてくれるものではなく、諦感だけを携えて薄く目を開けた。

「ねみぃ」
 やっぱりな、分かってたよ、俺ァ、ちゃんと。
 残念だと認めることもできず、誤魔化すようにいい訳じみた内心を込めて呟いてみる。ぼんやりと目を開けて閉じて、繰り返して見ても夢は現実になったりはしない。現実が、夢になることはあるのに。

 これ以上寝続ける事も、それから夢の中に思いをはせる事も諦めてちゃんと目を開く。寝転がったまま伸びをして、その格好のまんま寝る前の行動を思い返してみる。えーっと、確か新八は今日は来ないっつってて、神楽は貞春の散歩だっつってて、んで俺はジャンプ読んでて……っあー思い出した。

 そういえばジャンプがないと気がついて、まず初めにテーブルの上を見る。いつも、俺がジャンプ読んだまんま寝ちまってたらアイツがジャンプをそこに……。
 ハァ、と溜息を吐いて床を見ればやっぱりそこにジャンプがあった。拾い上げて見れば丁度いいところで変な折れ目がついてた。マジかよ、コレ銀さんが一番好きな連載よ?つぅかうっすい財布から金絞り出して買ったジャンプよ?それに折れ目とか……折れ目とかさぁ。
 ぶちぶち文句を言っていれば、すぐ側でくすくすと笑う声がする気がして、でも現実にそんなことが起こる筈もなくて、俺もそれを分かっていて、ジャンプを片手に持ったまま項垂れる。「本当に銀時さんはダメな男だなぁ」なんて、ゆったりとした声は、聞こえてこない。そりゃあね、聞こえてきたらいいなとは思うよ。俺だって。でも、聞こえてくる筈がない。聞こえてきたら逆に怖いって。いや、俺は別に幽霊とか怖くないけどね?アレだよ、アレ。そんな幻聴とか聞こえてきたら頭おかしい人みたいで怖いじゃん。俺別にそんな医者とか呼ばれるような変人じゃないし。

 ふぅ、ともう一度息を吐いて、吸った時に鼻を掠める匂いに目を閉じた。閉じると、さらに鮮やかに香る。花のような、それよりも少し甘さが少なく爽快感がある匂い。誰のものだったか、考えるまでもない。例えば俺を急かすように少しだけ前を行った時、例えば「ダメな男だなぁ」と髪を弄る時、例えば慰めるように抱きついてきた時。必ずそれは俺の鼻を擽っていた。


 思わず口を突いて出た名前に、目をさらにきつく瞑る。一瞬、感触が蘇ってきて、もしかしたら本当は夢の中の事が現実だったのかと確かめるようにもう一度「」と呟いてみた。耳元で、くすりと笑う声までもが鮮明に思い出されて、ぎゅう、と首に回る腕があるような気がして。

「さみぃ」
 幸福に身を浸そうとした瞬間にぶるりと体が震えた。体が冷えている。そういやぁ、何もかけずに寝ちまったなぁ。いつも、ソファーで寝ちまってもアイツがなんか掛けといてくれたからなぁ。
 もう二度と触れることのない気づかい。もう二度と触れることのない……

 頭を振って立ち上がる。糖分が欲しかった。何でもいい。少しでも俺が俺でいる為のものが欲しかった。冷蔵庫に向かう前、目線が開いたまんまの襖の向こうに見るからに安物だと分かる花瓶を掠めた。これが、現実だ。俺と新八で花瓶買いに行って、そんで俺と神楽で花を買いに行った。これが現実だ。

 たぶん、アイツがここにいたら「ダメな男だなぁ」と言うのと同じような言い方で「ごめんね」と呟くんだろう。アイツの口調は、いつも穏やかだった。口調だけでなく、雰囲気も動作も日常生活全てが穏やかだった。穏やかに笑って、穏やかに喋って、穏やかな空気で「銀時さん」と俺を呼ぶ。その「銀時さん」という時に僅かに滲むものがあった。それは何と言う空気だったのか、何と言う感情だったのか、何と言う雰囲気だったのか。そんなもの気にしたこともなかった。そもそも気にするようなものでもなかった。ただ、懐かしく思えた。

 喉に無理矢理通したイチゴ牛乳はいつも通りに甘い。ピンクのパッケージを潰してごみ箱に放る。そろそろゴミを出さなきゃいけない。
 明日が燃えるゴミの日だ。「ゴミの日」と書かれた紙が、冷蔵庫の扉で揺れる。
 紙の端が丸まって黄ばんでいた。たぶん、俺は一生この紙をゴミの日に出すことはない。


 き通す



 ほんっと、悪ぃなァ

 出来るかわかんねぇけどさ、あんまソファーで寝んぇようにすんからさ。
 出来るかわかんねぇけど、ジャンプは落とさねぇようにすんし。
 出来るかわかんねぇけど、開けたらちゃんと閉めるし。
 出来ねぇと思うけど、ちゃんと割り切っからさぁ。

 だからせめてさ、せめてよぉ、銀さんの一生のお願いだからさぁ。

 俺、夢見たんだよ。どんなって、お前のだよ、お前の。あぁ、俺未練タラタラじゃねぇかって思ったんだけどさぁ、お前がさ、開けっぱなしの扉から入って来て、俺の頭撫でんだよ。「ダメな男だなぁ」っていつもみたいに笑いながらさぁ、笑ってんだよ。
 お前さ、知ってた?銀さんなりに、ちゃんと真剣に好きだったんだよ。でも言えねぇじゃん。恥ずかしいじゃん。照れるじゃん。じゃなきゃこんな夢見ないし。ジャンプ買う金さえ絞り出さなきゃなんねぇのに花瓶なんか買わねぇし。だってぶっちゃけコップで代用できんじゃね?水入るし花刺さるし。しかもさぁ、あの花買ったのどこだと思うよ?ヘドロのとこだぜ?マジ殺されるかと思った。俺たぶん一回くらい死んだからね、恐怖で。
 俺さぁ、たぶんお前んこと一生忘れないと思うんだよね。実際。だって夢にまで見ちゃうくらいだよ?そんなん無理じゃん。忘れらんねぇじゃん。お前は俺の事ダメだダメだ言うけどね、銀さん実際すごいできる子だからね。そんな、隣が空いたからって次々に入れ替えるような真似できる訳ないし、そんなんしなくたって俺ちゃんと生きていける子だしね。お前さ、結構寂しんぼじゃん。否定すんけど、実際そうじゃん。銀さんにはお見通しだからね、隠したって無駄だからね。んなのにさぁ、お前の場所誰かに渡す訳にはいかねぇじゃん。たぶんさ、俺は普段からずっとお前のこと考えたりできねぇけどさ。ジャンプ読んでたら頭ん中ジャンプのことだけになんし、甘いものには誰も勝てねぇし。でもさ、そんでも、お前のことは忘れねぇと思うんだ。たぶん、一生。だから心配すんなって、ほんと。銀さんくらい素敵な人を周りがほっとく訳ないじゃん。だからお前が心配しなくたって俺の周りに誰もいなくなるこたねぇし、俺の周りに一っつも笑顔なくなることなんてねぇし、俺が寂しくなることなんてねぇから。

 だからさ、、なぁ、ほんと、頼むから。
 安らかに眠っててくれよ。俺は、意地でも幸せになってやるからさ。だから、いつか俺が行くまで待っててくれよ。


 愛しい貴方へ届かない最後の願いを